ちゃんとやれ!

副業フリーランサーの飲み屋話

家族を、仲間を大事にしなければいけない一番の理由

小旅行の途中

ミツカンミュージアムという"酢”で有名なミツカンの体験型博物館に行った。

早起きが苦手な僕、毎度のことながらギリギリの時間。
昔から早起きが苦手で、学生時代は遅刻の常習犯だった。

 

名古屋にあるターミナル駅の一つ、金山駅。
ここから名鉄に乗り、知多半田駅を目指す。

金山駅を9:15に出発する名鉄特急は9:40に目的の駅に到着する。


この距離で、指定席に乗る人は少ない。
僕が乗った車両は貸し切りだったのだ。

知多半田駅の1つ前に止まるのは阿久比(あぐい)駅。

そう言えば、阿久比には友人が住んでいたな。
車窓を眺めながら懐かしむ時間ができた。


阿久比駅を出ると、植大、半田口、住吉町を通過し、"知多半田"駅に到着するのだ。

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ふと、電車の中で

何か頭の中で引っかかっている。
何かが足りないのだ。

そうだ、友人の最寄り駅って、どこだっけ。
記憶というものは、15年経っても残っているもので。

 

椋岡駅が友人の最寄り駅だった。

漢字が読めなくて苦労したんだった。
椋岡駅、、、むくおかえき と読むらしい

確か阿久比駅の隣だったと記憶しているが。
どこに行ってしまったのだろう。

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ウィキペディアは何でも知っている

ウィキペディアによると、椋岡駅は2006年12月15日で廃駅になったそうだ。
何でも知ってるな、ウィキペディアは。

そうか、10年前に駅は無くなっていたのだ。
確かに当時から、普通列車が通過する駅として有名だった。

特急が止まる阿久比駅から0.6km、その次の植大駅まで1km。


駅と駅の間隔が短いんだったな。

一日の乗降客数が300人に満たない小さな駅だから、廃止されてしまったのは、しょうがないことなのだろう。

 


共感してくれる人

廃止されてしまったのはしょうがない。
が、僕の記憶にはしっかり残っている椋岡駅。

この小さな駅のことを知っている人、使ったことがある人はどれくらいいるのだろう。
僕が今付き合っている人間関係の中で。

 

もちろん椋岡駅のそばに住んでいる人に聞けば、当時の思いでを語ってくれるだろう。
そうじゃなくて、自分の身の回りに、その思いでに共感してくれる人はどれくらいいるのだろうか。

 


浜松での出来事

椋岡駅だけの話ではなく。
静岡県浜松市にある浜松駅前には、浜松アクトタワーというビルが建っている。
地上45階建て、高さは212メートルだ。

最上階には展望フロアがあり、天気の良い日には太平洋、富士山までがよく見える。
足元には新幹線が駆け抜けていた。

 

そんな浜松アクトタワーの最上階に上るには、入場チケットを買い、専用エレベーターへ。
閉ざされたエレベーターの扉が開くと、そこには絶景が見える。

 

 

はずだった。
それは、もう10年以上も前のこと。
今では、浜松アクトタワーにあるホテルオークラのバンケットルームになっている。
ガラス張りのエレベーターで上り、とりあえずの入場券を買う。

いつの間にか観光スポットから、ホテルの施設に変わっていた。

 


思いをぶつける場所

浜松市に祖父が住んでいたこともあり、小学生のころに何度か連れて行ってもらったのだ。
その時の光景、ワクワク感、ドキドキ感、それが今でも続いている。

 

大人になり、もう一度見てみたい、もう一度体験してみたいと思っても、その場にそれはもう無かった。
この不完全燃焼の気持ちをどうしたらいいだろうか。

 

誰かにぶつけるとしたら。
一番身近な人になってしまうだろう。

 

 

僕の思い出をリアルに知っているのは

小さな頃からの思い出を共有できるのは、家族しかいない。
どれだけ家族が嫌いだとしても、小さな頃から一緒に歩んできたのは残念ながら家族なのだ。

「そういえば、こんなことがあったなぁ」と情報をくれるのも、家族だったりする。

 

それが少し成長してくれば、学生時代の友人であったり、同期入社したアイツだったりするわけだ。
徹夜で飲み明かした思い出も、仕事で泣きそうになった思い出も。
自分以外に分かってくれる人がいるだけで、僕は安心してしまう。

 

過去にしがみつくわけではなく"過去"の存在を確かめたいだけ。

 

 

自分の道を守ってくれる仲間

どんなに嫌いだとしても、その記憶があるのは家族であり、古くからの仲間だ。
僕が今まで歩んできたそれを、証明し守ってくれるのは、周囲にいる人。

 

どんなに嫌いだとしても、どんなにムカつくことがあっても。
そこに頼りたいと思うことがある。

自分の過去の思いを、同じタイミングで共有できる人がどれくらいいるだろうか。

 

 

今の自分を支える為にも、道を守ってくれている人を少しだけ、大事にしたいなぁと思う日だったのだ。

それは結局、自分自身の為かもしれないけど。