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ちゃんとやれ!

「ちゃんとやる」ためのトレーニング場

僕の仕事は、あいつの引き出しを開けてあげることです。

こんにちわ、スズキ(@acogale)です。

先日、オフ会に行ってきました。

インターネット上のコミュニティメンバーと、実際に顔を合わせてきたということです。

 

優しい仲間

勉強会が終わっての懇親会での話。

懇親会の終盤、僕の周りには年上の方が何人もいた。

僕の経験やスキルで勝てないこともたくさんあった。

 

そんな僕の意見や話、提案を温かく見守ってくれていた。

否定も批判もされずに、見守って頂いて本当にありがとうございます。

という気持ちでいっぱいだ。

 

 

「最近の若いやつは」

僕は社会人を何年もやっている。

だから後輩、部下が何人もいた。

 

会社というコミュニティを離れても、年下の仲間が何人かいる。

10歳以上離れた高校卒業したての仲間も。

 

そういう仲間から話を聞くと、それは稚拙で甘い考えが多い。

と僕は感じる。

 

提案レベルが低いということだ。

だからそれを否定したくなるし、考えが甘いんだよと言いたくなる。

最近の若いやつ何も分かっちゃいない。

 

 

スキル差を考慮しろ

確かに年下のヤツと僕は同じ時間を生きている。

ただそれは、今という時間を切り取っているだけで、お互いが生まれてからの時間ではない。

 

僕の方が10年分多く、スキルや経験を積んでいる、積む機会があったということ。

その僕と年下のヤツを、同じ土俵で戦わせるのはどうなのか。

 

10年前の自分、何を考えていただろうか。

 

 

守ってあげられる器

そいつと戦って、何か生まれるものはある??

頭ごなしに責めるのではなく、温かく見守ってあげようと。

もっと応援してあげればいいし、もっと話を聞いてあげれば良い。

 

同じ企画力、表現力、考察力で戦っても仕方がないのだ。

年下のヤツの能力をもっと引き出してあげなければいけない。

 

 

引き出しを開けてあげる

僕が年下の仲間に求められていること。

僕が年下の仲間に提供できること。

それは、相手の引き出しを開けてあげる手伝いをすることじゃないだろうか。

 

こんなことやってみたい、こんなのはどうだろうか。

そう話をしてきてくれたとき、相手の引き出しは5センチくらいしか開いていない。

 

それをピシャっと閉じて「そんなのは違う!!」なんてことはせずに、5センチを10センチ、20センチにしてあげなきゃいけない。

相手の良いところ、良い引き出しを、グイグイ開けてあげることが必要はのだ。

 

 

 

その為にも聞き出す力を

こんな考えをするようになったのも、オフ会と本のタイミング。

ここ数日で読んでいた本が、プロインタビュアーの吉田豪氏が書いた「聞き出す力」という本

 

プロインタビュアーとして、相手が知らない相手のことを見つけ出してあげるのだという。

 

僕にもこれが必要なのかもしれない。

何でも自分だ! 自分だ! と言うのが全てではないだろう。

 

聞き出す力を学びながら、オフ会では先輩方が僕の話を温かく聞いてくれた。

その二つがグッドタイミングで混ざったのだろう。

温かくしてもらったからこそ、自分自身に安心感がプラスされ、よりよい自分になりそうな気がするのだ。

 

僕もインタビュー記事、始めてみようかな。

 

聞き出す力

聞き出す力

 

 

 

 

今日も絶好調なのは、本当に絶好調なのだろうか。

こんにちわ、スズキ(@acogale)です。

ツイッターでは"今日も絶好調ブロガー"と名乗っています。

 

調子よく毎日過ごせるんですよね。

予定通りの電車に乗れたり、お昼時に最後の一席に座れたり。

たまに「やっちまった、、、、」ということがあっても、すぐにリカバーできる。

 

そんな日が続いています。

ただ最近は「この絶好調、本当に絶好調なのだろうか」と考えるようになりました。 

 

絶好調の定義

とにかく調子がいい。

ツイてる、ツイてる。

そんな状況が、僕にとっての絶好調です。

思ったより負担もなく、やりたいなぁと思ったことができる。

食事に誘われた予定が、ピッタリとマッチする。

 

些細なことかもしれませんが、コトの大小に関わらず負担が少ない。

自分の想定していた枠の中で収まっている印象です。

 

想像の枠の中

この"想像の枠の中"ということを考えるようになってから「本当に絶好調なのだろうか」と思うようになりました。

ある事柄に対して、予定を立てる。

いくつかの懸念事項や、お金、場所、タイミング、それぞれの段取りが必要になる。

段取りの中にある「このくらいで大丈夫かな??」という感覚の精度が上がってきているのだ。

 

例えば「ディズニーランドに行こう!」と決めたとしよう。

もう少し具体的に言えば「6月15~16日に一泊二日でディズニーランドに行こう」と決めたとしたら。

 

10時に入園したいから、駅には9時頃に着きたいな。

ということは、名古屋を6時30分ごろに出る新幹線に乗ろう。

ホテルはパーク内のホテルにしよう。

二人で行ったら、一人35,000円くらいかな。

 

な~んて、頭の中で考えます。

この予測を基に、当日に向けて準備をしていくわけです。

 

現状維持が絶好調?

自分の感覚が、その出来事にマッチするかどうか。

それは2通りの考えがあります。

  1. やりたいことに対して、真剣に考えた
  2. 自分の頭で予想できることしかやらなかった。 

僕の中では、1番を目指したい。

やりたいことに向かって努力した結果、うまくいった。と。

 

でも、いつの間にか2番になっているのかもしれない。

知らず知らずのうちに「僕のできる範囲はここまででーす」と決め、それより外のコトについては、"やらない"という選択をする。

 

だからこそ、想定通りの事柄で毎日が過ぎていく。

現状維持を続けることも難しいが、それを積極的に推し進めたとして。

それは本当に"絶好調"なのだろうか。

 

新しい何かを求めて

自分の中では、もっともっと外に向かいたい。

あんなことや、こんなこと、たくさんの出来事に出会いたい。

 

ということは、今の僕は停滞しているのだ。

積極的に動けていない。

結局のところ、いつものアレ、いつものトコロ。

絶好調というより、ある限られた範囲での経験値がアップしたということ。 

 

ハプニングがあるのも絶好調に

慣れてきたこと=絶好調

にはしたくない。

 

ハプニングがあることも絶好調なのだろう。

「終わりよければ全てよし」

と言われるような。

 

最後は、「あぁ、よかったな」と言えれば、それが絶好調なのかもしれない。

控えめに、控えめに。

毎日同じことをすることで、絶好調"感"を味わうことができた。

 

次は、新しい場所で。

本当の自分を試してみないといけないだろう。

中畑清氏のように「絶好調男です!!」と言えるように。

 

次のステージの"絶好調"に向けて。

 

 

 

ニュートラルなれることこそ、最強の武器

こんにちは、スズキです。

最近、感情の起伏が激しいと感じます。

 

それを表現するのは難しいですが、色々とモヤモヤしています。

すぅーっと、気持ちが落ち着いてくれればいいのに。

普段の自分に戻ってくれればいいのに。

 

気分が乱れていると、良い結果に繋がりにくくなるのです。

 

 

平常心

いつもと同じ心。

平常心をコントロールできたら、どれだけ素敵なことだろうか。

大きく振れることは簡単。

どちらか一方に力を入れるだけ。

 

それを両方、同じパワーで。

バランスをとらなきゃいけない。

「ゼロ」にするために、心をコントロールしなきゃいけない。

 

 

ニュートラルは難しい

左側と右側がある。

左側に0.1の力を入れるだけでも、左側に傾く。

左側に10,000の力を入れても、左側に傾く。

 

それを0にするためには、ニュートラルにするためには。

左にも右にも同じ力でなければならない。

寸分の狂いがあってもダメなのだ。

 

 

コントロールできる技術

例えば瞑想。

振れている自分の心がピタっと止まる瞬間がある。

 

自分の目の前に一本の筋が通ったように。

時間も空気も止まったような、左右だけでなく360度のバランスがとれているような。

 

無になれるとき、身体が軽くなるとき、うまくニュートラルになってるなぁと実感する。

 

 

何を言われても

相手に何を言われても、落ち着いていられること。

喧嘩や挑発に乗らないこと。

自分の気持ち、自分の軸を大切にできること。

 

ニュートラルというのは、ブレないことなのかもしれない。

自分の軸があるからこそ、外的要因にも強かったりする。

自分というものが、ちゃんとあるからこそ。

自分のポジションを明確にできる。

 

 

振れ幅が大きいと疲れる

いつも元気ならいい、いつも大人しいならいい。

いつもの自分が、いつもどおり表現できているならいい。

 

それが大きく振れるようになったら。

いつの間にか足元もふらついてしまう。

それを傍から見ていると、大丈夫かなぁなんて思ったりする。

 

急に元気になったり、急におとなしくなる人。

ちょっと取っつきにくい。

 

 

自分を知る

自分を知ることで、多少は改善するかもしれない。

自分にとってのセンターってなんだろう、ニュートラルってなんだろう。

それを考えた時に、何度もでてくる答えや、いつも思い浮かぶ感情。

 

それが、自分自身のニュートラルなのだろう。

大きく振れず、まずは自分の中心を。

 

 

ニュートラルになれると、言いたいことが言えそう

これは、僕の勝手な感情だけれども。

ニュートラルになると、言いたいことが言えそうだ。

自分の心を解放してあげれそうな気がする。

 

だから、僕はニュートラルポジションを、早く見つけたいのだ。

 

 

平常心のコツ──「乱れた心」を整える93の言葉

平常心のコツ──「乱れた心」を整える93の言葉

 

 

とりあえず3年、辞めないで頑張ってみるのも一つの手

こんばんは、スズキです。

 

「とりあえず3年」という言葉を良く聞きます。

 

究極を言えば、3年など関係ない。

ただ、3年頑張ったから見えるものもあるということなのではないでしょうか。

 


経験としての3年

高校を出て働いた会社は、イベント会社でした。
イベントの運営、企画をしていました。

特にイベント系だと、1年に1回しか開催されないものがあります。
小さなモノで言えば、お正月の福引き、夏祭り、秋のスポーツ大会、クリスマスの装飾。

小さな会社でしたので、何から何まで経験しました。
それは現場仕事だけでなく、社内業務もです。
決算や年末調整についても、教えてもらいました。

 

例えば経理部

経理部に配属になった人がいるとします。

四半期決算があるとは言え、本決算は1年に1回。
その準備、段取り、どのくらい時間がかかるのか。
そういったモノは、1年目では想像しづらい。

2回、3回と経験していくことで、ある程度の視野が保てるようになるのではないでしょうか。

「3年」というより「3回」
僕の中では、3年というより3回という考え方のほうが合っているかもしれません。

ある事柄を
1回目で教えてもらい
2回目で自分でこなし
3回目で教えてあげられる

そうすると、3年必要なものもあるということです。


昨年に独立した皆さん、確定申告が大変だったと思います。
右も左も分からないことが多かったことでしょう。
今年はもうちょっと準備して、楽ちんにしなきゃ。
と思えるのも、次の確定申告が2回目だからです。

1年に1回のことをマスターするには3回分
つまり3年の時間が必要になるわけです。

 


別に辞めてもいいんだよ

今のポジションの経験を積むには3年必要かもしれないですが"3年は辞めるな"ということではありません。

見切りをつけることも必要ですし、自分の首を絞めることをする必要はない。

ただ、その時の経験を胸張って言えないのかなぁという程度。
○○部で、こんなことしました!! ということが、カウントされづらくなるだけです。


まぁ人間なんとかなるんですよ

だから、3年経たずに辞めた人が言う「別に3年なんて必要ない」という意見も正しい。
その人が成功しているのだから。

また「やっぱり3年働いてみて経験値が上がりました」という人の意見も正しい。
その人は3年間、働いた人だから。

どっちが正しいとか、どっちが間違っているではない。
どちらの意見も一理ある。

恋人にするなら、身長が高い方が良いor低い方が良い
と同じようなレベルです。

すぐに辞めちゃった人は、その潔さで次の自分が活躍できる場を探せば良い。

3年間続いた人は、その経験を活かせる場を探せば良い。


同じ職場、同じ部署、同じタイミングで配属されたとしても、辞める人と続ける人がいる。
どっちが幸せで、どっちが楽しいかなんて、それこそ人それぞれだから。


一箇所での経験値があがれば視野は狭くなるだろうし、どんどん転職すれば経験は浅いものにある。

「狭く深く」か「広く浅く」か。
どっちも世の中には必要だからこそ、どちらを選んでもいい。

ただ、僕の中では、働き始めは不安だから。
経験を積んで安心できるようになりたいと思うだけ。
だからこそ、明確にやりたいことが無ければ、今すぐにでもしたいことが無ければ、3年は頑張ってみてもいいんじゃないかなぁと思う。

高校は3年、大学は4年、それ以上かもしれない。
通い続けられる人が、会社が3年続かないのはどうしてだろう。
それは、また別の話なのだけれども。

 

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会社を辞めたい、辞めたいといいながら、働き続けた

こんにちわ、スズキ(@acogale)です。

会社員をしながら、ブログを書いています。

 

高校を卒業してから、5社ほど渡り歩いて今の仕事をしています。

仕事を変わるキッカケには3種類ありました。

 

自分から辞めることにした

会社が事業をやめることにした

雇用期間が満了した

 

どの場合でもそうですが"終わり"がくるわけです。

 

2社目の話。

雰囲気の良い職場でした。

人間関係も良好、業務もちょうどいい。

 

そう言いながらも、小さな波はあるもので、ちょっと先輩にムカツクことを言われたり、ちょっと意に沿わないことがあったり。

そんなときは「仕事辞めたい」と思うようになりました。

 

別に大きな不満があるわけでもなく、精神的に辛いわけでも、肉体的に大変なわけでもない。

辞めるに値しないことばかりなんですけどね。

小さな波、ちょっとしたことが気にくわない。

つまらないんです。

 

18歳から働き始めて、その頃は23歳だったかな。

ある程度のことはできるんですよね、ある程度のことなら。

空気を読んで作業することができる。

 

そうなると、ちょっといい気になります。

「オレ、なかなかやるやろ??」って思うんです。

 

そういう調子に乗ったスズキに面白くない出来事が起こる。

それも小さな、小さな出来事。

 

そうすると、途端tに「仕事やーめた」って思うようになる。

思うだけじゃなくて、口に出してしまう。

オレもう辞めるしーーー。ってね。

 

周りが大人だったから。

周りの仲間が大人だったから、そんなスズキを上手くコントロールしてくれた。

要するに取り合ってくれなかったわけです。

 

「そんなつまらなんこと言ってないで、さっさと仕事しなさい」って怒られました。

 

僕自身は、かまってちゃんみたいに、オオカミ少年みたいに、辞める辞めると言っていただけ。

心の底から辞めたいと思う要素はなかったので、気軽に「もう辞めるし」と言えたのでしょう。

 

結局のところ、その職場が無くなるまで働き続けました。

ビルの取り壊しがあり、閉鎖されてしまったのだけれど。

 

僕の場合は、「辞めたい」というのは本気じゃなかった。

欠勤せずに仕事に行き続けた。

ちょっとした挨拶のようなものだったのかもしれない。

 

中にはそうじゃない人もいるだろう。

最後の勇気を振り絞って「辞める」と言ったところで、相手にされないなんて辛い話だ。

 

自分の生活、環境、人間関係が落ち着いてくると、自然と「辞めたい」ということは無くなった。

そんなことで誰かの気を引かなくても、支えてくれる仲間がいるから。

そうじゃなかったときは、職場にしか居場所がなかった。

だからこそ職場での居場所作りをしていたのだろう

 

僕の場合は、居場所作り、そしてかまってちゃん。

大きな悩みもなく、楽しく仕事をさせてもらっていた。

 

「辞める辞める詐欺」の人ばかりじゃないところが、難しいところ。

いつの間にか「辞めたい人」のことを、僕自身が軽く考えるようになってしまっている。

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