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ちゃんとやれ!

「ちゃんとやる」ためのトレーニング場

顔見知りを少しずつ増やしていきたいし、自分の考えも持っていたい

(旧)自己分析

こんにちわ、スズキ(@acogale)です。

「オレ、こんなことやりたいんだー」と声に出していたら、いろいろなところから声を掛けてもらえるようになりました。

 

写真が撮りたい、デザインを学びたい、インフラを教えてほしい。

とかとか、口に出して言っていたら、紹介してくださる方が何人もいました。

 

新しい付き合いがあったり、新しいコミュニティがあったり。

そういった場で顔なじみ、顔見知りという人が何人いるだろうか。

 

別に初対面の人だからといって、怖気づいてしまうわけでもなく、フランクに話ができるのだけれど。

本当の部分はそこではなく、顔見知りができる、顔を覚えてもらえるくらい、そこに力を注いでみたいということ。

 

適当に1~2回参加しただけじゃ、空気のような存在で終わってしまうだろう。

そこに参加する意味や、そこでやりたいことをしっかりと準備したうえで。

自分のキャラクターを確立したうえで、そういった場に参加する。

 

「爪痕を残す」ということでしょう。

 

笑い転げるようなネタは必要ないけれど、その場の人が求めているようなネタは用意しておきたい。

数日経ったころに「そういえば、あの人って」と言われたい。

 

 

以前、やまもとりゅうけん氏のブログにこんな記事がありました。

www.ryukke.com

 

タイトルに惑わされていたんです。

「セミナーの受け方」って書いてあるから、セミナーにしか注目していなかった。

 

自分がセミナーを受講する際には、りゅうけん氏の記事にあることを気にしていたんですけどね。

 

実は、この考え方の基本となる部分は、セミナー以外のことにビシビシ当てはまるんですよ。

自分自身の視野が狭かっただけかもしれません。

 

要するに、「こたえあわせ」のためにセミナーに出るんですよ。

 

この一言を、セミナー以外にも当てはめなきゃいけないんですよね。

答え合わせをする。

コミュニティの勉強会であっても、講演会であっても、答え合わせをしなきゃいけない。

自分の気持ちを、考えを持っていないといけない。

 

同じ会でも、「セミナー」という名前なのか、「勉強会」「講演会」なのか。

そういった名前の先入観で、変に構えてしまったり、変に飾ってしまったり。

 

日本語で言えば、明確な違いや差があるのかもしれないけど、それを的確に使い分けている人なんて、わずかだろう。

ということは、セミナーにしても、勉強会にしても、講演会にしても。

つまりは同じ感覚や、同じ意識で参加しなきゃいけない。

 

そうじゃないと身にならないから。

 

 

コミュニティに参加してみて、答え合わせの意識がある人、何かしら自分の考えがある人は、印象に残るし話が興味深い。

合っている、間違っているではなく「僕はこう考える」ということ。

それがあるだけで、他のメンバーより一段も二段も上にいるように見える。

 

変に区切り線を引いてしまってはいけないということ。

セミナー以外にも役立てられる情報があるということ。

 

冷静に振り返ってみると、適当に過ごしていたんだなぁと痛感。

さっさとダメなところを修正していこう。

 

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自己紹介ができないから、僕はコミュ障で人付き合いが苦手。

(旧)自己分析

こんにちわ、スズキ(@acogale)です。

 

「30秒、時間をあげるから自己紹介をしてください」

 

と言われて自己紹介できるか、できないですね。

事前準備もしていないだろうし。

 

就活しているのであれば、自己紹介、自己PRの練習をします。

1分くらいで伝えられるように、要素をピックアップしセリフにしてまとめています。

原稿を見なくても話ができるように練習します。

 

僕は練習も準備もしていないので、自己紹介ができません。

細かく言えば、楽しい詳しい自己紹介ができません。

 

 

ところで僕は「コミュ障」だ

コミュ障とは何か。

コミュニケーション障害の略称。

簡単に言えば、他愛もない雑談が苦痛だったり、人が苦手だったり。

 

ちょっとコミュ障について考えてみる。

どうしてコミュ障だと思うのか。

 

会話が続かないことへの不安が大きい。

適当に会話に飛び込んでいっても、居心地が悪かったりする。

何を話していいのか、何を話すのがいいのか。

それが気になってしょうがない。

 

ということは、どういうことか。

自分に自信がないんだろうなぁって。

自信が無いから、どうしたらいいのか迷ってしまう。

 

 

さて、自信が無いのはなぜなのか。

というところにたどり着くのだが。

自信が無い理由は2種類。

 

  1. コンプレックスがある
  2. 自分を知らない

 

自分自身にコンプレックスがあれば、自信がなくなってしまう。

それ以外に、自分を知らないと自信がなくなってしまう。

 

知らないということは恐怖なのだ。

自分自身を知らないことで、自分の強みや特技や長所が分からない。

だから自信がなくなってしまう。

 

相手のことを知らないと怖い。

知らない人って怖い。

やっぱり「知らないコト」ってのは怖いんですね。

 

 

話は最初に戻るんですが。

僕は自己紹介が出来ないんです。

自己分析をしていないから、自分がどういった人なのか分からないんですよ。

 

でも、それは怖くないんですね。

自分自身とは、ずっと付き合っているので、知っている気分になっている。

本当は知らないんですよね。

知らないけど、怖くないのが「自分自身」だったりします。

 

自己紹介ができないけど、自分自身だから怖くない。

その代わり、相手のことが怖くなるんですね。

自分がほったらかしにしていた領域に踏み込まれたくないから。

 

自分自身のガードしている領域、パーソナルスペースに来て欲しくないから。

来られると困るんですよ。

だって自分自身のことなのに、知らないから説明も案内もできない。

 

相手を避けているんですね。

 

つまり、自己紹介ができると、コミュ障から抜け出せます。

具体的に言えば、出身地や好きなモノ、得意なこと。

そういったことを、自分のなかでしっかり組み立てておく。

 

自分という一番身近な存在を理解することで、相手に踏み込まれても大丈夫。

その準備をするために、自己紹介をしよう。

自己紹介の準備をしよう。

 

好きなことの幅を広げて、コミュ障から脱却できるかもしれない。

 

数ヶ月して、僕がコミュ障で無くなっていたら、自己紹介を練習した結果なのだろう。

 

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「必要だけど供給過多」という表現に脳天を撃ち抜かれた

(旧)自己分析

こんにちわ、スズキ(@acogale)です。

 

ブログの先輩、やぎぺー氏のブログ「やぎろぐ」

昔から、何度も読んでいたのだけれど、この記事に気付かなかったとは。

もっとしっかり読んでおけばよかった。

 

批判は必要なんだけど供給過多。肯定力のある人が得をする | やぎろぐ

 

この「供給過多」という表現で、僕はもうお腹いっぱいになりました。

言いたいこと、モヤモヤしていたことが、このタイトルに全部詰まっている。

 

僕自身が、批判は必要だと思っている。

批判されることから、生まれる良いことがあるとも思っている。

 

一方的に、言いたいだけ言う批判は、ちょっと遠慮したいが、中身のある批判はしっかり話を聴きたい。

そこで、相手の意見をじっくり聞いて、お互いの考えをより高いものにする。

アウフヘーベンに近いような環境って素晴らしいと思っているから。

だから、批判することも、されることも、別に問題はなかった。

 

 

供給過多に気付かない。

だから、批判については賛成に近い立場だった。

批判があーだこーだという意見なんて、受け入れるのができなかった。

 

でも「供給過多」という言葉で、ハッとした。

脳天を撃ち抜かれたというのは、まさに今の気分なのだろう。

 

批判することを否定はしていないが、それをする人が多いということ。

みんなが思い思いの意見を、批判的にぶつけるのは、もういいんじゃないかということ。

 

それを含めたうえで供給過多なのだから、しょうがない。

批判してもいいけど、そうじゃない選択肢もある。

批判することがカッコいいとか、自分の意見を持っているとか。

そういうことではなく。

 

批判することが「許されている」だけ。

 

いつも出てくる鈴木先生のセリフ。

許されているだけ。

だからカッコいいとか、素晴らしいとか、勝っているとか、そういうことではない。

ただ、その選択が許されているだけ。

 

批判すること、肯定すること、どちらも許されている。

どちらを選んでも、どちらの気持ちがあってもいい。

許されているから。

 

許されているからといって、それを大きく振りかざしては、それこそ残念な人になってしまう。

権利を主張するだけの人のようになってしまう。

 

供給過多になっているということに気付けなかった自分は、まだまだだなぁと。

批判すること、意見を持つことしか見えていなかったのは、まだまだだなぁと。

 

批判する人は、他にもいっぱいいるんだと、そう思ったら胸のつっかえがとれたような気分に。

どこかで変に突っ張っていただけなのだろう。

そうしないと、認めてもらえないとか、自分の存在が無くなるとか。

 

供給過多なんだから、僕は肯定するような人になっていこう。

大きく気持ちを、大きく考え方を変えていこう。

 

人があまりやらないところに、価値を見つけてみようと。

肯定できる人になる。

 

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友達、友人、仲間、知り合い。大人になると友達が減り、友達ができなくなる。

(旧)雑記

友達100人できるかな。

友達、何人いますか?

そもそも友達ってなんですか?

 

大人になって友達ってできましたか?

 

先日、ブログ仲間のともよし氏に「お友達ブロガー」と紹介して頂きました。

www.genkiyoshi.com

 

あぁ、友達だったんだなぁって思いました。

仲良し、仲間、なんだろう、友達って。

 

友達って不思議な感覚なんですよね。

特に大人になってから。

子供の頃は、一括りに「友達」と言っていたのだけど。

 

大人になると、友達という概念が薄くなるような気がする。

友達という便利なものが無くなるのか、それ以外に打算的なことが増えるのか。

 

友達というより、便利な〇〇当番だな、アッシー君とかメッシー君とか。

そういった繋がりなのかな。

 

純粋に知り合うことも少なくなっているような気がする。

取引先であれば、仕事関係。

同じ職場であれば、同僚、上司、部下、仕事仲間。

同じサークルであれば、サークル仲間。

 

そうやって、友達から仲間に変わっていくような気がするのだが。

でも、友達という考え方は嫌いじゃない。

 

ママ同士は、ママ友といい、ママのお友達ということだろう。

男社会になると、友達がいなくなるのか。

 

 

昔からの友達、旧友についても、友達とは言わなくなった。

友人ということが多い。

 

じゃぁ、友人というのか。

友人よりも、知り合いということが多い気もする。

 

友達ってなんだろうね。

 

 

今日は、古くからの友達の誕生日だった。

僕の毎年の手帳には、誕生日と書いてある。

20年来の友達、友人。

 

利害関係も少ない、目指すところもバラバラ。

昔からの付き合いがあるだけ。

 

 

友達という感覚、友達という付き合い。

そういう関係って、改めて考えると貴重だ。

お友達ブロガーと言ってもらえたことが新鮮で、こそばゆい感じがして、でも嬉しかった。

 

大人になるにつれて、ちょっと距離を置いた感じに。

フラットな、お友達という関係。

そういう純粋な付き合いが減っていたのかもしれない。

 

お友達という関係がもう一度復活してもいいかなぁと思いながら。

友達と紹介されるのも、照れくさい気がする。

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これは、筋トレブログです。

(旧)雑記

こんにちわ、スズキ(@acogale)です。

僕はブログを書いています。

一年以上、毎日書き続けています。

 

今日は書きたくないと思うときがあります。

別にブログを書かなくても死なないです。

ブログを明日やめても問題ありません。

 

ただ、僕は毎日書くんですよ。

 

毎日書くことで、トレーニングしているんですよね。

公開トレーニングです。

 

トレーニングでブログを書く。

書くことを習慣にしようとしている。

だから、別のブログでは、ちょっとスタイルを変えていたりします。

 

だから、筋トレブログのようなものです。

少しずつ負荷を変えてみたり、少しやり方を変えてみたり。

そうやって、自分自身を鍛えているわけです。

 

ジムでトレーニングしている隣の人だと思ってください。

その中でも、もうちょっと面白くできたらいいと思うんだけれど。

まだ、そのステップには辿り着いていないようです。

 

毎日書いたからって、何になるわけではありません。

もうやめたいなぁと思うこともあります。

やめたっていいんですけどね。

 

そういうときって、ブログをやめたいわけじゃないんですよね。

会社にも行きたくないし、生きてるのも面倒になるとき。

だから、ブログをやめたいというより、すべてを捨てて、すべてを脱ぎ捨てたい。

と思うことが、何度もあるんですね。

 

 

幸せな証拠

そういうマイナスなことを考えていても、マイナスなことをゆっくり考えられる余裕があるということ。

窮屈な自分、悲劇のヒロインのような自分にちょっと酔っているだけで。

 

でも、やっぱり、それじゃダメダメということで、ブログを書きます。

誰かがジョギングをするように。

誰かが腹筋ローラーをするように。

僕にはそれがブログを書くことなだけで。

 

筋トレブログというわけです。

筋肉に詳しい人であれば、間をあけろとか、超回復だとか、そういうことを言うんだろうけどね。

まぁそこは大目に見てください。

 

ここで毎日筋トレをして、別のところで力を発揮できるように。

というトレーニングをしています。

 

そういいながらも、真似したくなるようなブログを書いている人もいるし。

こんな風になりたいなぁと思うブロガーさんもいるわけです。

 

ただトレーニングしているのも、そろそろ卒業したいと思うけれど。

筋トレに甘えていることもあるわけで。

そろそろ本当に「ちゃんとやれ!」と言われそうです。

 

惰性でだらだらやるのも、そろそろやめにしましょう。

ちょっといい目標が、こんなことをやってみたいという希望が。

見えてきたので、そこに向かった筋トレをすることにします。

 

トレーニングブログだけれど、一人で筋トレしているブログじゃなくて。

スタジオの先生のような、エアロビの先生のようなブログを目指します。

 

スズキでした。

ちゃんとやれ!

 

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