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ちゃんとやれ!

僕の思いをぶつける場。真剣勝負。

自我と社会性を捨てろ、好奇心たっぷりのワクワクした毎日がやってくる

おもろん

好奇心って??

こんにちわ、スズキ(@acogale)です。

あなたの周りの好奇心旺盛な人。

どんな印象をもちますか。

 

明るいな、前向きだな、といったプラスの面から、鬱陶しい、邪魔だというマイナスの面まで、いろんな印象をもっているでしょう。

 

さて、好奇心とは何か。

辞書によると次のように書いてあります。

珍しいことや未知のことなどに興味をもつ心

 興味をもつ、好奇心が旺盛。

具体的にはどういうことなのでしょうか。

 

好奇心をテーマにした講演

最近、「好奇心」をテーマにした2種類の講演に行きました。

雑誌BRUTUS編集長 西田善太氏の講演「好奇心を人任せにしない"情報のエンドユーザー"にならない、編集者という遊び方(と仕事)」

もう一つは、脳科学者 茂木健一郎氏と、デザイナー 佐藤卓氏のトークセッション「『好奇心』て、どこから来るの?」

 

 

幸せとは、気づくことである

幸せとは、気づくことである

 

 

 

大人になってから、いつの間にか「好奇心」という言葉すら使わなくなっていました。

この2つの講演で、久しぶりに「好奇心」とは、ということを深く考えることになったわけです。

 

好奇心は「外向き」の集大成

2種類の話を聞きながら、好奇心とは何か、ということを改めて考えたときに出た答えは2つ。

好奇心とは、相手のことを知りたいと思う気持ち。

自分の気持ちが、どんどん外に向いているという感覚。

 

自分のことよりも相手のことが気になって気になってしょうがない。

目に入るモノ、聞こえる音、頭をよぎったフレーズ、そういったモノが好きで好きでしょうがない。

 

自我やエゴ、自分というものが確立されてくると、周りを気にしなくなる。

周りを気にしなくなるということは、好奇心なんてどんどん無くなっていくのだ。

 

 

自我を捨てろ、社会性を捨てろ

好奇心がまだ足りないと思うなら。

やることは2つ。

  1. 自我を捨てる
  2. 社会性を捨てる

自分というもの、エゴやナルシストといった考え方。

そういったモノを一度取っ払ってしまう。

そうすると、次に見えるのは周りだ。

今まで自分しか見えていなかったその目で、周りを見渡せるようになる。

 

今まで気がつかなかった小さな違い、小さな喜び、小さな何かが見えるようになってくる。

その為には、自我を一度捨てなければいけない。

 

 

二つ目に社会性を捨てる。

社会性とは、順応する力だったり、受け流す力だ。

通勤中、電車に乗っているときに見つけた看板に目を奪われた。

だからといって、次の駅で降りて看板を追いかける人は皆無だろう。

 

それは社会性があるから、受け流す力があるからだ。

これが子供だったらどうだろう。

気になることに目を奪われ、本来の目的を果たせなくなっていることがある。

 

自我と社会性を捨てることで、好奇心に満たされるのだ。

 

 

自分を決め付けないためにも

他人に興味がない、外に気持ちが向いていない人。

それは、他人を勝手に決め付けている人。

あの人は~、この人は~。

と思うということは、自分についても「オレは○○だ」と決め付けしまっている。

 

本当にそれで合っているのか。

自分は本当に想像している自分で間違いないのだろうか。

 

自分の認識というものは難しいものだ。

客観的に自分を見られる人はどれくらいいるのだろう。

 

 

自分を外から見る為にも、好奇心に溢れた生活をしよう。

見るモノ、聴くモノ、感じるモノ全てが新鮮で、五感を刺激してくれる。

その為に、ある程度の自我と、ある程度の社会性をそっと閉まっておこうじゃないか。 

ストレスを右から左へ受け流す方法

ストレスを右から左へ受け流す方法

 

 

プロとアマチュアの違い

雑記

こんにちわ、スズキ(@acogale)です。

 

先日、こんなツイートをしました。 

 

プロのカメラマンと、アマチュアカメラマンの話。

 

プロのカメラマンさんは、鉄道写真を主に撮影されている。

JRの時刻表や、書店に並んでいる鉄道雑誌の表紙を飾るような本物のプロカメラマン。

 

アマチュアカメラマンは星空をメインにした写真の個展を開いていた方。

趣味で撮影をしているとのこと。

 

このアマチュアカメラマンの個展に行ってきたのだけれど、キレイな星空の写真が何枚も飾ってある。

星空を風景と一緒に撮ることは簡単なようで難しい。

 

スポーツ写真や報道写真のような動きや緊張感は少ない。

だから機材さえあれば、写真として完成するだろう。

ただ、それを撮りに行くだけの熱意と情熱が必要なのだ。

 

お金にならない1枚のために、何度も何度も撮影に通う。

夜空をメインにしているということは、天候にも左右される。

撮影ポイントまで行って曇っていたら出直し。

また、その撮影ポイントを探すのも一苦労だろう。

 

風景を混ぜるということは、季節も大事になってくる。

桜の木と星空が写っている写真、これは春限定だ。

菜の花と星空の写真もある。

 

平日の仕事が終わってからでも、1枚の写真を狙いに行くそうだ。

1枚を撮るために1年も2年もかかる。

それだけ耐えて、気持ちを高めて撮影した1枚。

そこには引き込まれるものがたくさんあった。

 

一方でプロのカメラマンにも話を聴くことができた。

自分の気持ち、理想の写真はあるが、クライアントがある仕事。

期日までに納品しなければいけないというプレッシャー。

 

自分の気持ちではなく、相手が求めているものを撮影する。

仕事だから、クライアントの要望をくみ取ることが大事。

撮影というものは、作業の一つでしかないとのこと。

 

 

プロとアマチュアの違い

プロはクライアントがあるということ。

求められたモノを、その形にして納品するということ。

予算も期日もある中で、最大限のパフォーマンスが必要だということ。

 

アマチュアは、好き勝手にやればいい。

相手がいるわけでもなく、期日があるわけでもない。

ただ、普通のアマチュアで終わらないためには、そこに熱意と情熱が必要なのだろう。

適当に済ませるのではなく、本当に形にしたいものをそこに残すという意味で。

 

そういう意味では、アマチュアのほうが難しい。

評価してもらえる場所もなく、求められることもない。

自分が「好き」だと思うこと、「したい」と思うこと。

それだけが原動力になっている。

 

アマチュアだからと逃げずに、その1枚にどれだけのパワーを注いだのか。

真剣さを改めて感じることのできるひと時だった。

 

素敵な星空カメラマン

500px.com

 

 

つまみ食い人生は楽しい。「二兎を追う者は一兎をも得ず」なんて嘘っぱち

自己分析

こんにちわ、スズキ(@acogale)です。

ことわざ「二兎を追う者は一兎をも得ず」

二羽のウサギを狙っても、結局はどちらも捕まえることができない。

欲張っても中途半端になるだけさ。

 

そんな戒めの意味を込めて使われることがある言葉です。

でも、それって本当なのでしょうか。

 

 

つまみ食い人生

僕自身は、他人の良いところをパクるつまみ食い人生。

あの人のあんなところが素敵だな。

この人のここを真似してみよう。

 

そうやって、僕の人生は積み重なっていく。

だから、二兎どころか、5人10人と追いかけていくのだ。

 

 

ウサギだとうまくいかないけど

二兎追うものは~

ウサギ1羽は、ウサギ1羽。

それ以上細かくなることもない。

 

だから「獲れた」か「獲れないか」の2択になる。

が、人生というものは、もう少し融通が利く。

0か1ではなく、0.3や0.8もある。

柔軟に対応できるのだ。

 

 

2兎追って、1兎を得る

2つのいいところの半分ずつを得ることで、新しい「1」が生まれる。

世の中でそうやってできているものは多い。

 

2つのモノを1つにまとめる。

若干クオリティが落ちるかもしれない、不便なことがあるかもしれない。

だけれど、その両方のモノがあることで、次の何かが生まれるのだ。

 

 

弾き語りをする人

ギターを弾きながら歌う人。

ギターは、ギターだけを練習したほうがうまくなる。

歌なら歌だけを練習したほうがうまくなる。

 

でも、ギターの弾き語りは、それのどちらでもない良さがある。

弾きながら歌うことで、新しいレイヤーの良さが生まれる。

単体で練習したほうが、上手なのかもしれないけれど。

 

両方練習することで、ギターや歌が「1」にならないのかもしれない。

「0.5」とか、「0.7」止まりかもしれない。

でも、それらが合わさることによって、「1」になることだってある。

つまみ食いは、つまみ食いの良さがある。

 

 

憧れの人って何人いるの??

その人の良さをまねてやろうと思うなら、対象は一人のほうがいい。

けれど、僕は多くの人の良いところを、ちょっとずつつまみ食いしたい。

 

トークが上手な人、文章が上手な人、頭のいい人、感受性の豊かな人。

人それぞれに良いところがあるので、それをちょっとずつ吸収したい。

 

ブログだって、あの人のエッセイのような記事を書きたいし、この人のようなとんがった意見も書きたい。

だから、どんどんつまみ食いをする。

 

 

根本にあるのは冗長性

どこかに不安と自信の無さがある。

一つのことに絞り込めない自分がいる。

そして、何かあったときに、ふわっと方向転換できるように冗長性をとる。

 

だから、あれこれつまみ食いをしてしまう。

コレ一本でいく!!! と決めた人は、やっぱりすげーやつだったりする。

 

 

いいとこ探しをしよう

でも僕はつまみぐい人生。

だから良いところを探して、それをどんどん吸収していきたい。

それが自分自身の自信になって、より良いものへとつながっていく。

 

どんどん色んなモノを追いかければいいのさ。

それを少しずつ混ぜながら、良いものを作っていく。

 

決して二兎追ったら、何も得られないなんてことはない。

もっとフラフラして、たくさんの良いモノを吸収していこう。

 

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Special Thanks はぎゅログ〜渋谷で働くシンガーのブログ〜

※画像はイメージです

 

ピンチはチャンス、モノゴトが変化するのは当たり前のことだから、諦めてしまえばいい。

おもろん

こんにちわ、スズキ(@acogale)です。

 

突然の予定変更、一方的なキャンセルで困ったことはありませんか。

僕自身も、突然の予定変更で悩まされた経験が多くあります。

ただ、どこかで、「諦める勇気を持つ」ということで、解決してきたことがたくさんありました。

 

問題が起きてしまった「結果」をガタガタ言ってもしょうがない。

当初の予定にできるだけ近づけるような案を出すことがゴールへの近道だ。

 

予定変更があることで、2つのマイナス要素があります。

一つ目は、予定していたことができない、未完成になってしまうということ。

「〇月〇日に納品する」といったことができなかったり。

「〇〇遊園地で遊ぶ」といったことが叶わなかったり。

本当の目的に対して、望みが叶えられない、約束が守られないという点。

 

2つ目は、その予定を考えた人の労力が水の泡になるということ。

完全に自己満足なのでしょう。

「自分がこれだけ事前準備をしたから、この予定はうまくいくぞ」と思っていたこと。

それをお披露目する、実行に移す場所が無くなってしまったということ。

 

このタイミングでこれをして、あのタイミングであれをしよう。

そうしたら、負担が無く目的の〇〇を達成することができる。

 

そう考えていることが、崩れ落ちてしまう。

事前に準備したのに、一体どういうことなんだ。

という気持ちになるわけです。

 

本来のゴールに向かうことが先決で重要なのです。

それにも関わらず、自分の成果を認めてほしい、自分の頑張りを評価してほしいと思うが故に、「どうしてくれるんだ」と怒る人がいます。

 

それは間違いですよね。

あなたがどれだけ怒ったところで、何も変わらない。

予定変更があった原因を解決しようとするならまだしも、ただ自分の出番がなくなったからと怒っているようではダメなのです。

 

次の策を考えておくのが大事。

冒頭のとおり、諦める勇気を持つこと。

諦めることで、新しい道を使うことができる。

今までのやり方、方法ではないもので挑戦できる。

 

諦めることが前提にあるのであれば、諦めたときの次の手段を探そうとする。

「あれがダメだったらBパターンでいこう」「Cパターンという選択肢もある」

そうやって、柔軟に対応できる用意をしておくことが大事。

 

初めから終わりまで、物事tが続いていると思ったら、それは大きな間違いで。

いろいろな要因により、そのモノゴト自体が変化するのは当たり前のこと。

 

その変化についていけない人は、自分の決めた道を行こうとする人は、それを乱されると怒るわけです。

変化を受け入れるためには、諦めることが大事なんですね。

しょうがないな、まぁなんとかするわ。

そう思って、柔軟に対応していきたいものです。

 

今日は予定が大幅に変わった。

グチグチガタガタ言うのはやめた。

予定の前倒し、2軍、3軍とキープしておいた予定を実行に移す、

 

そこまで含めての事前準備。

大きく事態が変化したとしても、ある程度はしょうがない、諦めようと思える器が欲しいのであります。

 

 

あきらめる練習 (SB新書)

あきらめる練習 (SB新書)

 

 

 

技術の進化、個人でできることが増え、人に頼れない人が増えた

小さな違和感

こんにちわ、スズキ(@acogale)です。

 

技術が進化し、何でも自分でできるようになった。

自分の手元で物事が解決できるようになった。

 

パソコンやスマホを通して、簡単に解決できるようになった。

仕事、趣味、そういったものが多岐にわたり、選択肢が増えた。

 

何でも自分でできるようになり、面倒なコミュニティに属さなくてもよくなった。

 

結果、誰かにモノを頼むことが少なくなった。

家族にしろ友人にしろ。

全ては自分で解決できる。

 

何かをお願いするとすれば、それはビジネスの付き合いで、そこにはコストが発生する。

「これを売ってください」

「はい、150円です」

 

「駅までお願いしたいのですが」

「はい、1,240円です」

 

お金を介してでないと、お願いができなくなる。

特に困らないんですよね、人に頼らなくても。

 

面倒な貸し借りもなく、すっきりとした人間関係でいられる。

それって魅力的なコトなんですけど。

でも、本当にそれでいいのだろうか、とも思うわけです。

 

人間関係が難しくなるような気がしまして。

うまい具合にやっておいて。

という感覚が薄れてきますよね。

深い付き合いの人はいいのかもしれないけど。

深い付き合いと言うのも、自ら積極的に作る人付き合いのことで。

 

置かれた環境や立場に依存するものではなく。

こいつのことが好きで、こいつのことが魅力的だから。

だから、こいつと付き合っていこう。

そういう仲間なら、もう少し安定しやすいのだけれど。

 

隣近所、上司先輩後輩、そういった関係というのは難しい。

お金で解決するのも、なんとなく気持ち悪い感じがする。

かといって、ギブとテイクのバランスが良いわけでもない。

 

どこかしら、感覚の中に数値として置き換える何かがあって、そのバランスをみたときに、いろいろと思ってしまうのだろう。

隣の家の人が、この前はみかんをくれた、この間は犬の散歩をしてあげた。

 

何かうまくバランスがとれればいいものの、そういうわけにもいかないみたいだ。

 

個になればなるほど、周りとのコミュニケーションの取り方が難しくなるのだろうか。

コミュ障というのも、人見知りというのも、難しい考え方。

人とコミュニケーションを取ることが、好きな人もいれば、嫌いな人もいる。

確かに面倒ですからね。

 

人にモノを頼むこと、コミュニケーションをとること。

どことなく近い関係にいるような気がしてならない。

混雑した電車から降りるときでさえ、声を掛けない人が多いのは気のせいだろうか。

ちょっと通してほしいということが伝えられない。

 

大衆食堂に行って、メニューが遠くにあるときに声を掛けられない。

 

いつの間にか、そういう世の中になっている。

読解率の高いに日本でこんな状態になってしまっていいのか。

 

技術が進化しすぎると、不便なこともできてくる。

それが、また次のステップへ進化すると、新しい何かが見えてくるのかもしれない。

 

降りる駅になれば、頭についているランプが光るとか。

そうすれば、周りの人も気付いてくれるだろうし、それを気付かせてくれる装置ができることだろう。

 

 

大丈夫、誰かに頼ってもいいんです。~頑張らないからうまくいく! ~

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