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ちゃんとやれ!

人生の質を上げるアウトプットの場

自分と勝負するために、ブログを更新し続ける。

ブログ運営

こんにちわ、スズキ(@acogale)です。

2016年1月から、はてなブログでブログを書いています。

 

先日、ブロガー(=ブログを書く人)の集まりに行ってきました。

何年も続けているベテランの方から、ブログを始めて1週間というフレッシュな人まで。

みんなで仲良くわいわいと、デザインを変更してみたり、記事を書いてみたりと。

そんな作業をしながら、仲良く話をしていたんです。

 

普段、ブログを書くときは、一人で書くことが多いんですね。

カフェで、自室で、電車の中で。

自分のタイミングの良い時に、好きなように好きなところで書くことがほとんどです。

 

 

だからブロガーは孤独

デザインや構成、内容、画像の選定。

そういったものを全部一人でできるのは、大きなメリットなんです。

自分一人で作り上げたぞー! という達成感は大きい。

けれど、相談する相手もいなければ、キッカケを与えてくれる人もいない。

 

困ったときにGoogle先生に相談するくらいです。

 

有名なブロガーさんで、タクスズキさんという方がいらっしゃいます。

「らふらく」というブログを書いていらっしゃる方です。

先日、ツイッターでこんなことをつぶやいていました。

 

成功しない人の特徴に「孤独になれない人」というのがあります。

やっぱり、ブロガーで力を伸ばしていくには、孤独との戦いが必要なんですね。

 

好きなことで孤独になるのは辛いことです。

理解者がいない、相談者がいない、

悩んでいるときに、どうしたらいいのかさっぱりわからない。

 

 

ブログは誰と勝負するのか

ブログの指標とするものは何か。

アクセス数なのか、収益なのか、読者数なのか。

もちろんそれ一つ一つが目安にはなる。

 

アクセス数が10の時より100のほうがいいし、100よりも1,000のほうがいい。

10の時にくらべて、1,000のときは100倍成長したように感じる。

 

アクセス数を追いかける人、収益を追いかける人。

その前に「ブログを続けること」というのが大事になってくる。

 

「ニワトリかタマゴか」という問題もあるだろう。

めっちゃアクセスが増えたら、どんどん書いてやろうと思うし。

めっちゃ儲かっていたら、どんどん書いてやろうと思う。

 

そうじゃない期間が一定期間ある人がほとんどだ。

3か月、半年、1年と続けていくうちに、アクセス数や収益が伸びてくると言われる。

 

まずは一定の期間、書き続けるということが重要。

それは自分との闘いなのです。

 

 

自分の安定感を知るために

自分と戦いながら記事を書く。

まずは自分との勝負。

別にブログである必要はありません。

ジョギングでも、ラジオ体操でも、瞑想でも、座禅でも。

 

孤独になりながら、自分の中でどんどん籠っていく。

自分の中でレベルをあげて、それに合わせるトレーニングを。

もっと内に内に、どんどん自分を追い込んでいく。

 

自分が自分で潰れてしまうくらい追い込んでいく。

と、新しい光が見えてくる。

 

毎日更新したからといって、毎日が調子良く書けるわけではない。

悩むときもあるし、指が踊りだすこともある。

 

それが日によって、落ち着いていたり飛び跳ねていたり。

自分でコントロールできていればいいんですけどね。

今日は飛び跳ねてみよう、今日はのんびりまったりモードだ。

 

勝手にスタイルが変わっていることが多い。

というのは、自分自身をコントロールしきれていないということ。

 

自問自答しながら、自分にもっと問いかけながら。

頭がパンクしそうになりながら。

そういう環境で書いている記事は、アクセスも伸びる。

結果がいつの間にかついてくる。

 

 

自分自身をコントロールするためにも。

自分のやり方をあとから振り返るためにも。

ブログを更新しているんですよね。

 

目的はひとそれぞれ。

その人にあったやり方、その人が目指している姿。

そこに向かって突き進める環境。

 

そういったものを整備しながら、自分自身をコントロールしていくのだ。

一つ一つのことをしっかりやること。

 

ちゃんとやれ!

 

 

 

レベルアップをするには「小さなこだわりの積み重ね」しかない

仕事論

こんにちわ、スズキ(@acogale)です。

会社員をやりながら、ブログを書いています。

 

高校を卒業し、社会人になって12年。

あっという間に時間は過ぎていくんだなぁと改めて実感しています。

 

今年32歳になりますが、まだまだ社会には先輩がたくさんいます。

そんな先輩からの「レベルアップするためには」という話をご紹介します。

 

 

今のレベルはどれくらい

レベルアップについて語る前に、まずは自分自身のレベルをしっかりと確認しておくことが大事です。

それを何年やっているのか、どれくらいの頻度でやっているのか。

具体的な数字で、定量的に確認する必要がある。

 

毎日30分やっていることと、1年に1度しかないこと。

それぞれの成長度合いが違うのは、当たり前なので事象ごとに確認すること。

 

 

他人と比べることも大事

よく「他人と比べるな」という人がいるけれど、一方で比べることも大事。

自分自身のレベル確認の為にも。

 

同期入社のアイツと比べたときに、勝っている部分、負けている部分、どちらもあるだろう。

また仕事が違う友人、仲間との差はどうか。

もちろん仕事には専門性があるので、できること、できないことの差がどんどん開くだろう。

 

その差をしっかりと認識して、自分自身の立ち位置や、レベル感をしっかりと確認したほうがいい。

 

他人と冷静に比べて、現状の把握、これからの方向性を一度決めておくことが大事だ。

 

 

やることは小さなことばかり

その上で、やることというのは、小さなことばかり。

面倒だなぁと思うような小さなこと、それをどこまで積み重ねられるか。

 

それは仕事だけでなく、普段の、日常の中でもそれを意識すること。

仕事の準備、通勤時間、そういったときも含めて、どれだけ考えられるかが大事なのだ。

 

 

朝起きてすること

例えば、朝起きて何をするか。

どの順番で、どうやってするか。

 

ベッドから出るのは右足か左足か。

起きてから何分で、着替えるのか、準備をするのか。

今日着る服はどれか、どういうコーディネートか。

 

細かなことが、日常の中にはたくさんあり、それをどれだけやりとげられるか。

 

 

もう少し仕事寄りで考えるなら

会社に着いたあとにすることや、作業のひとつひとつ。

 

ひとつひとつの行動に決まりがあって、それをどれだけ積み重ねられるか。

キーボードの入力ミスがある人は、どれだけミスするのか。

 

ミスをすることがあるというそのことが、当たり前になっているのではないか。

そのときにある「ちょっとくらいいいじゃんかー」という気持ち。

それが積み重なると、入力ミスが当たり前になる。

入力ミスが当たり前になれば、誤変換、誤送信、業務スピードの低下につながる。

 

 

「たかがそれだけ」ということの積み重ね。

プロはそれをする。

地道な努力や精度向上を心がける。

 

小さな、もしかしたらどうでもいいような「それ」にこだわることが。

今後の自分をレベルアップさせてくれるのだ。

 

 

何にこだわるか

周りと比べながら、差を感じること。

それは良い面でも悪い面でも。

その「差」が許せる許せないか。

 

シェフの友人には料理の腕前では勝負できない。

パイロットの友人には飛行機の操作で勝負できない。

 

まずは「ひとまず無理」なことを避けておいて。

できることのなかで、許せないことを。

 

それについてこだわってみよう。

 

整理整頓なのかもしれないし、書類の作り方かもしれない。

小さな小さな違いにこだわっていると、その相手との小さな小さな違いに気付くようになる。

 

それに気付いたら、今度は近づけるようなやり方を自分で作るだけ。

まずは小さな小さなこだわりと。

 

愚直にそれをやることで、レベルアップする。

 

ちゃんとやれ!

 

なぜ鉄オタがこれほど嫌われ、叩かれるのか。

今日の飲み屋話

こんにちわ、会社員ブロガーのスズキ(@acogale)です。

休みの日は外に出掛けることばかりで、家にいるのは本当に苦手。

年に2~3日は、朝から晩までずっと家にいるけれどね。

おおよその日は、途中で息苦しくなって外に出掛けます。

 

外に出掛けるときに、何に乗りますか。

と聞かれれば、「バスと電車です」と答えます。

車も運転しますけど、できるだけバスと電車、公共交通機関を使うのです。

 

電車によく乗るようになると、電車に詳しくなるんですね。

知らず知らずのうちに。

車両ごとの特徴や、乗り心地のよいシート、オトクな切符や割引の使い方。

とくにネット文化が発達してからは、スマホ一つで何でも調べられるようになりました。

 

いつの間にか電車、鉄道が好きになると「鉄オタ」という人に出会うようになります。

例えば、どこかに出掛けるときに珍しい電車があれば「乗ってみよう」とか。

特にお気に入りの座席があったりすると、そういう界隈の人たちに出会う訳です。

 

いつの日からか、鉄オタってちょっと嫌われている印象がありませんか?

特にここ最近、残念な鉄オタが増えている気がしてならない。

がしかし、どうしてこんなに鉄オタだけが叩かれるのか。

スズキなりに考えてみた次第です。

 

 

「オタク」は総じてキモい

いい言葉が見つからなかった。

でも気持ちを素直に表現するなら「キモい」ということ。

「オタク」という言葉も分かりづらい。

ざっくりした感覚で「趣味や好きなことに熱狂的な人」と捉えてもらえるとありがたい。

 

 

さて、夏と冬に開催されるコミックマーケット。

全国のオタクが集結するようなイベントですよね。

僕は行ったことがないのだけれど、とにかく熱狂的なファンがたくさんいるとのこと。

 

そういう昔から認識されているような「オタク」もいれば、そうじゃない人もいる。

 

アイドルオタク、ジャニーズオタク。

やっぱりキモいのだ。

それは、熱狂的な人じゃない人がそれを理解できないからだと思う。

 

お行事が良いと言われる宝塚ファンの皆さん。

宝塚に熱狂的な気持ちがないスズキからしてみると「どうしてそこまで熱中できるのか、出待ちしているのか」と理解しがたいことがある。

 

サークル活動に熱中している人。

フラダンスのサークル、手芸サークル。

キモいと言い過ぎると、だんだん雰囲気が悪くなるのだが。

他人の好きなことに、なかなか理解できないのだ。

「フラダンスって何が楽しいの??」みたいに思ってしまう。

 

オーディオにハマっている人。

自分用に電柱を立ててしまう人もいるくらいだ。

何を考えているのか、もうさっぱり分からない。

 

僕自身も好きなことがあり、それには盲目的に取り組んでしまう。

周りの目を気にしていられないくらい好きなこと、好きなものに向かっている。

例えば、スマホやパソコンのようなガジェットものが好きなのだが。

普段から4~5台はスマホを持っているし、全部が回線付きで契約してある端末だ。

小さめのタブレット、大きめのタブレットを合わせると、何台端末があるんだよ!! ってなことになる。

 

何に使うのか、アホじゃないの?? と言われながらも、それが好きだから僕自身は納得している。

まぁ、友人や他人からしたら「キモいな」と思われるのも当然だろう。

 

さて、鉄オタについてだが。

 

 

鉄オタが嫌われるところ

前述の通り、オタクは総じてキモいのだ。

そのキモいオタクたちが、なぜ上手くやってこれたのか

ということを考えると、一つの結論がでてくる。

 

それは

しっかりと棲み分けができている

ということだ。

 

活動している、集まれる場所がある程度限られていること。

そして、そこには熱狂的なファンしかいないこと。

 

これが一番のポイントではないだろうか。

 

アイドルオタクや、ジャニーズオタクが集まるのは、コンサート会場であったりショップであったり。

宝塚ファンの皆さまもそうだろう。

劇場に集まる。

 

コンピューターが好きなオタクは、秋葉原の電気屋さんに集まるかもしれない。

 

そして、その場所には、用事の無い人がいかないのだ。

宝塚が嫌いな人は、宝塚劇場や公演に行かない。

ジャニーズが嫌いな人も、コンサート会場には行かない。

好きな人が、場所と時間で区切られて、好きな人同士で集まっている。

 

だからこそ成り立っていたようなモノだ。

 

 

鉄オタの活動場所

鉄オタだったらどうなのか。

残念なことに上手く棲み分けができていない。

 

確かに新幹線の工場見学や、試乗会などの限定的なイベントの場合。

そこには鉄道好きな人しか集まらないだろう。

 

が、普段の駅、電車の中、そういった場所は、全く興味が無い人もいるということだ。

ただの通勤通学、移動の手段としか思っていないそれと、趣味の対象となっているそれでは、意識も気持ちも違う。

 

それは、そこで働いている人も同じで。

駅員さんは普通のお客さんの為にいるのであって、鉄オタの為にいるのではない。

運転士さんも車掌さんもしかり。

鉄オタを迎え入れているわけでなく、ただのお客さんとしか見ていないのだ。

イベントスタッフ、警備員、劇場の案内係。

そういう人とは違うのだ。

ただただ普通にいつもの業務をこなしているだけ。

普通のお客さんの枠を外れるような人は好かれないのだろう。

 

鉄オタじゃない人にしてみれば、日常生活のゾーンにオタクが踏み入ってくるのだ。

その趣味自体を受け入れていない上に、踏み入ってこられたら。

あーでもない、こーでもない、と鉄オタじゃない人が言うのもよくわかる。

 

もっと限定的に活動すればいいのだろうけど。

そうすれば、「遠くのオタクさんたち」ということで、「関わり合うことがないから好きにしていたら」程度で受け入れられていたかもしれない。

 

 

棲み分けられないなら共存しないと

オタクが集まるところと、意図せずに集まっているところ。

その違いが、そうじゃない人(一般人)には分からないし、理解できない。

 

好きなアイドルのコンサートでワイワイはしゃいでくれるのは、何の影響もないけれど。

そのアイドルのポスターが駅にでも掲示されていて、みんなが写真を撮っているとしたら。

そういう人たちを、だんだんと嫌いになるのかもしれない。

 

世の中で、上手く棲み分けができているものと、そうでないもの。

そうであるのなら、お互いに歩み寄ったり、お互いに考えないといけないのだろう。

 

が、世の中の構図を見てみると、圧倒的に鉄オタじゃない人が多い。

深く考えずに鉄道を使っている人のほうが多い。

だからこそ、「そうじゃない人たちが目の前にいる」という気持ちがあればいいのではないだろうか。

 

人間とは自分勝手なもので「マナーが悪い」とか「気持ち悪い」と思っても、それが自分から遠い存在であれば気にしないのだ。

自分には関係ないと思うから「ご自由にどうぞ~」となってしまう。

 

逆に自分自身に近ければ近いほど、あーでもない、こーでもないと言いたくなる。

ネット文化の発達した今では、それがネタとなり炎上し、ますます立場がごちゃごちゃになってしまう。

 

上手く棲み分けをするか、共存するか。

そこをちゃんととやらないと、ますます嫌われるだけになる。

 

ちゃんとやれ!

 

何かを得ようとするとき、何かを捨てる決断が必要

他ブログ

こんにちわ、会社員ブロガーのスズキ(@acogale)です。

最近、両極端なことに悩まされています。

 

会社に行くことが楽しいのに、つまらなく感じたり。

毎日のトレーニングが苦痛なのに、楽しく感じたり。

 

気持ちの振れ幅が大きく、自分を見失いがちです。

それくらい、気持ちが安定しているということで。

いかようにも考えられるってのは、僕の中では絶好調なポイントです。

 

 

何を捨てるか

さて、タイトルなんですが、何か捨てないと。

と思っているわけで。

 

気持ちの振れ幅が大きいのは、ブログについても同じ。

「こんなのやめてやるー」と思えば、「もっと頑張ろう」と思う。

そんな環境でウダウダやっていても、全く成長しない。

 

だから、自分らしさを一度閉じ込めてみようと思うわけで。

先日も記事にした通り、これは「筋トレブログ」なのです。

 

というわけで、カッコイイことや、自分自身を前面に押し出すのではなく。

ちょっと本格的にトレーニングしてみようかと思います。

 

というわけで、自分らしさを捨てます。

 

 

得るものとは

それで得られるものは何か。

他の人のやり方、スタイル、趣向。

そういったものが得られる。

 

というのも、ブログ界隈には、素敵なアドバイスをしてくださる方がたくさんいるわけで。

だから、それに便乗してみようと、それを「徹底的にパクる」ことで、自分のモノにしていこうと思うわけです。

 

真似したら、どこかでその人の考える枠というか、イメージしているモノが僕にも見えるのではないかと。

 

 

ターゲットは、君に決めた

たくさんの先輩がいるなかで、最近の僕に大きな影響を与えてくれているのは、

「理系男子のぐうの音」を運営している るびこさん

www.gu-none.com

 

「君に決めた」と偉そうなことを言っていますが、一方的に勉強させてくださいませ。

ということです。

 

ピピッときたのは、共通点が多いから。

理系的な考えが好きだし、男子だし、会社員だし、ガジェット好きだし、毎日更新したいし。

 

おおよそのカテゴリーに共感できるポイントがあったから。

まずは近しい考えや、スムーズに受け入れられる人を真似してみようと思うわけです。

 

 

まずはやってみればいい

こうやって情報を教えてくださる人がいる。

そうなりたいから、ふむふむと記事を読む人がいる。

 

さて、どれくらいの人が、言われたことを試しているのか。

どれくらいの人が、それをやりこなせるのか。

 

どこかで言い訳をして終わってしまうんです。

「忙しい」とか「合わない」とか。

 

でも、それはやってみないと分からないし、合わせることができなかった自分の技量不足だったりする。

 

まずは1か月、2か月とやってみる。

やってみて、やっぱり合わないならちょっと休めばいいし、目標にする先輩を変えればいい。

 

まずはやってみる。

とりあえずじゃなくて、まずはちゃんとやってみる。

 

ちゃんとやれ!

 

自我を捨てないとプロにはなれない

(旧)仕事術

こんにちは、スズキです。

先日、プロカメラマンの講演を聴く機会がありました。
その中で、印象的だった話をご紹介します。


古い車両を狙う理由
多くの場合は、新型電車の撮影だという。
が、あえて古い電車を狙いにいくときがある。

古い電車の引退前だ。
例えば新幹線の特定の車両が引退するとき。
それを狙いに行くらしい。

ただ、最後の日ではなく、その1年前、2年前に狙いに行くという。

その古い車両の写真を納品し、メディアに掲載される時間を考えると、それなりの時間が必要とのことだ。

特定の季節で撮りたい場合は、特に注意するという。
桜と電車、花火と電車、紅葉と電車、降雪と電車。

半年後や1年後のネタの為に、行動するというのだ。


電車を狙わないとき
鉄道カメラマンなのに、電車を狙わないことがある。
作品の中には電車が写っているのだが、それが主役ではないということ。

風景が綺麗、その場の空気が綺麗。
そういったときは、電車があえて脇役になる。

この電車に乗れば、こんな風景が見れる。
この電車には、こんな楽しみ方がある。

電車そのものに魅力を感じる人もいれば、それを移動手段にしか捉えていない人もいる。
後者の人にもウケるようにするには、そこからの風景、妄想できるネタが必要なのだ。

 

電車好きには難しい
鉄道写真に限らず、アートやデザインを含めて。
それ単体が商品、作品になるということは無い。

そこに別の写真が入り、キャッチコピーが入り、レイアウトを組んで商品、作品になる。

写真が作品だという芸術家もいるが、商業写真というのは、その一端を担っているだけだ。
料理でいう「カレーライス」を作っているのではなく「にんじん」を作っているに過ぎない。

ただ、趣味であれば趣味であるほど「カレーライス」を作ってしまうのだ。


商業写真である以上、そこに広告的な要素が必要になる。
だから、写真そのものが目立ってはいけない。
ひたすら脇役に徹するのだが、キレイでなければいけない。

写真としてのクオリティを保ったまま、脇役であり続ける素材。
趣味でキレイな写真を撮ろうとする人では無理なのだろう。

よりドライな関係の中で、相手に印象づけながらも、脇役でいなければいけない。
どこかでビジネスだと割り切る気持ちが必要なのだろう。

自分の作品が大事だという気持ちでは無理だ。
クライアントが求めるものを、「期日までに納品させる」 というプロ意識。
そういう気持ちが大事なのだろう。

 

 

 


※便宜用、気動車や客車についても「電車」と標記しています。